- 論考
大人がいるということ、楽しむこと
- 2024.4.2
安藤隆一郎(アーティスト)
今でも時々思い出す忘れられない光景。それはもう10年ほど前、日差しが強く蒸し暑い真夏の日。当時、水中展覧会AQUARTという海中を舞台とした展覧会をしていた私は会場がある奄美大島瀬戸内町の嘉鉄集落を車で通り抜けていました。すると、いつも見かける小学生たちが道端のどぶの中を汗だくになりながら覗き込み、何か面白いものがないか?と、必死に探しているのを見つけた。
後から聞いた話では、子どもたちの親が協力して彼らにテレビゲームを持たせていなかったのだ。険しい峠に挟まれた集落は陸の孤島。自由に集落外に行くことのできない彼らは夏休みの長い1日を過ごすのに、小さな集落の中で楽しみを見つけないといけなかったのだ。だから、校庭でお決まりの遊びをするとき以外は常に周囲にアンテナを張り、私たちが海辺で作業をしているのを見つけると、「何してんの?一緒にやる。」と言って集まってくることもあった。
ある年、やっとじいという集落のタコ取り名人のおじいから昔の人々と海にまつわるお話し( aquart2013.pdf )を聞く機会があった。やっとじいが小学生だった昔、学校が終わると子供たちは目の前にある海に入って遊び、潮が引けば学校から逃げてでも海に行って釣りに行くほどだったといいう。釣りをするときは2Mの竹を切って紐をつけて釣竿を作り、餌は岩をひっくり返してヤドカリ100匹捕まえるなど、子どもたちにとって海は広大な遊び場だったことを聞いた。そして、タコ取りであれば、泥や藻がついていない石で塞がれた穴にはタコが隠れていること。釣った魚は入れ物(洗面器!?)から飛び出さないように2、3回岩に叩きつける方法など、遊びを通して観察したり工夫することを学んでいった。奄美に初めて行くまでは、島の子供は今でもみんな海で遊んでいるんだろうと思っていたが、今では海は「危ない」と親に言われ、子どもたちが自由に海で遊ぶ姿はもうなかった。むしろ、海の中の事を生業とし携わる人などを除けば、外の人の方が知っていたかもしれない。これは嘉鉄集落に限った話ではなかった。他の地域に行っても、海や山や川について同じような話を良く耳にした。
確かに自然は「危ない」場所でもあるが、昔は子どもの遊びの場となっていた。では、なぜ今は危ない場所になってしまったのか?と、考えるとそれは大人がどう関わったらいいのか分からなくなってしまったから。そして、「危ない」場所としてほったらかしてしまったからじゃないのか?と思う。じゃあ、何で親は分からないのか?というと、親が子どもだった時には暮らしが昔と変わり、海や山や川で働く人や暮らしのものを採りに入る大人が少なくなったことが原因としてあると思う。やっとじいが子供の頃は海に大人がいた。だから「遠くまで泳いで行っても疲れたら、小舟を浮かべて釣りをしている大人に乗せて帰ってこれば良かったし、何かあっても助けを求められた。」という。
自然に限らず、今は街中でも外で遊ぶ子どもたちが少なくなっきた。私が子供の頃にはまだ空き地が沢山あり、用意された公園よりもそんな場所や裏山などで秘密基地を作って遊んだりしていた。いろんなことは近所の兄ちゃんたちから教えてもらったし、近所付き合いも今よりもあったので、いろんな大人が気にかけてくれたように思う。だから、目一杯遊ぶことができたんじゃないかなと思う。今、自分の子供が小学生になり近所で友達と駆け回ったりしているのを見ると、危なっかしくて心配にも思う反面、とても嬉しい。でも、子供たちにとってはまだまだ足りないんじゃないかなと思う。
ならまちワンダリングでは子どもたちが奈良市を舞台に身体を沢山使って遊ぶアイディアやきっかけを沢山作っていきたい。3月に開催したキックオフイベントでの「身体探検ツアー」がそのスタート。ならまちの空間を活かし身体を使って遊ぶ探検として、棒を持って出かけ階段や公園の坂道を使って子どもたちと遊んだ。
楽しいものや便利なもの。多くのものを与えられることに慣れてしまって、どんどん自分で遊びを生み出すことを奪われてしまっているように思う。生活のいろんな所にあるものに目を向け「んーーー、、、」と時間をかけて頭をひねり、身体を使って楽しくなることを作り出す。嘉鉄集落のあの子どもたちのように自ら発見することは与えられたものよりもずっと大事なことが詰まっているんじゃないかなと思う。そして、子どもたちが目一杯飛び出すためにはそこに大人もいないと。