- 論考
私の〈ほんとの話〉
- 2024.3.9
風間勇助(アーティスト)
学生時代に当時付き合っていた人と本屋デートをしたことがあります。東京にあるいわゆる大型書店で、ありとあらゆる本が並ぶ場所で、最初に再集合時間を決めておき、各自が興味のある本棚へそれぞれ向かう個人行動。これはデートと呼べるのかよくわからない。私は芸術や人文書、文庫などのコーナーへ。相手は理論物理の研究者だったこともあり、数学や宇宙、趣味で集めている化石などのコーナーへ。再集合時間には、二人とも購入した本を抱え、その日の収穫物を喫茶店で紹介し合いました。
私はアートプロジェクトについて話し、向こうは宇宙の話をしていて、話が噛み合っているようないないような……。お互い何の話をしているか、話の半分でも伝わっていたかどうかわからない。でも、その人と出会っていなかったら、自分は宇宙や化石についての本に触れることはなかったかもしれません。相手もまた、アートプロジェクトなどという言葉にさえ出会わなかったかもしれません。当たり前ですが、自分が知らない世界が本の数だけ、人の数だけあるんだと思いました。誕生日プレゼントには、『137億年の物語―宇宙が始まってから今日までの全歴史』という壮大な本をもらいましたが、その人との付き合いはわずか1年で終わり、宇宙の誕生から考えるとなんてわずかな時間だろうかと。
月日が経って大学を卒業してから、お世話になった芸術史の先生のお家へお邪魔することがありました。「風間くんも研究者になるならこのくらいは読んでいないと」と、先生の自宅の本棚からいろいろな本を紹介されました。先生が若かった頃に買い集められた本や雑誌が山のようにあり、長い時を感じさせる古本の紙の色合いや匂い、かつてあったいろんな雑誌の色褪せないかっこよさにときめきを覚えました。
本屋デートをした大型書店でさえ、自分には見えていない本棚があるというのに、古本の世界まで考え始めると、人類がこの世界に生み出してきた本の量に圧倒されます。人は一生をかけても、その全てを読むことはできませんが、そんな数ある本の中で出会った目の前の1冊。この雑誌はああだったこうだった、この著者はああでもないこうでもないと、先生は手にした本から無限に話がでてくる。先生のそのまた先生の本なども出てきて、その思い出話を聞くと、今まで知らなかった先生の別な一面を見たような気もしました。また、こんなふうにして人の言葉や知は紡がれていくんだなぁと思うと、1冊の本の中にもその著者が人生のなかでいろんな人から受けとってきた言葉があるのだろうと想像でき、さらなる奥行きが感じられるようになりました。
人と本の関わり、出会い方はずいぶん変わってきたと思います。都心でさえ、大小問わず書店が閉店しており、最近では書店が一つもない「書店ゼロ」の自治体が、全国で26・2%に上るとのニュースも見ました。紙の本か電子書籍かといった話題もありますが、それ以上に本との偶然の出会い、すなわち自分の普段の関心のなかでは出てこないような言葉との出会いが失われていくことの方に大きな危機を感じます。しかし、書店が減っていくなかであっても、小さくとも個性的な本屋さんが各地に出てきています。何でも揃えている本屋さんではなく、店長さんのお人柄を見られるような本が並び、そこに何か引っかかるものを感じた人々が集まり語らう本屋さんが奈良にもあります。こうした本屋さんにこそ大きな希望を勝手に感じています。
ならまちワンダリングのなかでは、本を積んだ移動式の屋台をひいてならまちを歩いてまわり、そこで偶然出会った人々からおすすめの本、たまたま持っていた本について「ほんとの話」を共有していく場をつくろうと思っています。本を通して、互いの世界がほんの少しでも広がる、誰かや何かへの理解がほんの少しでも深くなる、そんな場になることを願っています。
風間勇助