• 論考

ワンダリング考1

  • 2024.2.23

    小山田徹(ディレクター)

 先日、近所の小学生3、4年生数人を連れて、京都大学の博物館に行った時の話です。京大博物館には常設の化石や調査記録や歴史の文物の展示がされており、特別展示では骨格標本が所狭しとならんでいました。引率みたいな感じでしたから、順次展示を見ながらいろいろ説明するつもりで展示室にはいったとたん、子供達はてんでばらばらに走り出し、それぞれの気に入った物の前に立ち止まり熱心に観察し始めました、一人目はナウマン象の頭、二人目は発掘用のハンマー、三人目はチンパンジーの数字認識装置、四人目はシロアリの拡大鏡、5人目は様々な植物の種。しばらくすると又走り出し、それぞれ別の物の前に立ち止まります。今度は日本地図、ななふしの標本、タヌキの標本、植物標本、蝶といった具合に、次々にそれぞれが展示順序関係なしに巡っていくのです。特別展示の骨格標本展示室でも、こどもたちはてんでばらばらに気に入った物のまえに立ち止まり観察するというのを繰り返します。チンパンジーの骨格の真似をしたり、鹿の顔の真似をしたり、それぞれがとても楽しそうなのです。

 その時、私はハッと気づいたのです。私は博物館に子供達を連れて行き、知識を教え込むという偉そうな了見だったのではなかろうか?博物館の展示順序に従って書いている説明を読んで、展示の意図を理解して…。そんな感じのイメージを子供達は軽やかに抜け出して、軽やかに個々の興味に従い、しっかりと新しい世界に出会っているのでした。彼らにとっては博物館の文物はノンカテゴリーの混沌とした世界であり、その混沌の中で自分の興味に引っかかる物と出会う。あぁ、世界との出会い方はそんな感じの方がいいのかもな。大人の私たちの方が色眼鏡をかけて世界を見ていて、実は深く見ていないのかもしれないと思ったのです。帰りに子供達に何が面白かったかと聞くと、それぞれが生き生きと嬉しそうに「猿の猫背」「シロアリがアリじゃない事」「日本は4つのプレートの上にある事」「発掘ハンマー欲しい」「コウモリにオチンチンがあった」としっかりと何かを掴んでいるのでした。帰りの道すがらも子供達は石垣や植え込み、溝、木立などの中に興味あるものを見出し、皆で楽しそうに走り回っていました。博物館と世間の境界線は彼らにはありません。そうだよね、そうでなくっちゃ!私は自分の色眼鏡を外さなきゃと思った日でした。

 最近は世界各地の博物館で分類や表示をなくした展示をする所も増えてきています。もちろん、今までのタイプの博物館も必要ですが、最初に出会う博物館には、混沌とした世界の混沌とした展示もあっていいのかなと思います。そして、私たち大人も出来るだけ色眼鏡を外して世界を眺められたら、様々な発見と出会いと関係に満ち溢れ、毎日がワクワクとした新鮮な日々になるのではと思うのです。

 ワンダリングとは楽しく迷い、彷徨い、様々な事象に出会い、思考する事なのです。

小山田徹