- 論考
僕は、何も知らなかった!
- 2024.5.8
藤浩志(ディレクター)
奈良はとても身近なところだったはずなのですが、実は奈良についてほとんど知らないということについて知りませんでした。それがいちばんの驚きです。
京都で暮らしてた大学時代、まだ10代の頃、奈良まで旅したことはあったけど、お寺を巡り仏像に会いに来ていたので「まち」や「まちの人」に関心がなかったのだと思います。
働き始めてからは妻の実家が奈良にあった関係で、結婚の申し込みに行った時の緊張の記憶。奈良市の高の原中央病院で長女が生まれた時、東京の都市計画事務所から通勤に使っていたバイクでそのまま東名高速を飛ばして会いに行った時の記憶。仕事終わってそのまま走り出したこともあって、眠くて、果てしなく遠かった。その後は子どもたちの成長とともに過ごした妻の実家、高の原駅周辺での記憶。この15年ぐらいは妻の両親のお見舞いや法事やお墓参りでの家族との辛かったり苦かったりの記憶。
この数十年、全国各地の様々な規模の「まち」と関わり、さまざまな表現に関わる活動を「つくる」仕事をしてきたものの、奈良はあくまでも家族と大切な時間を過ごすところであって、「表現の現場」として関わることは一度もなかったのだなということに気がついたのです。
今回、最も信頼できる友人の小山田徹から「ならまち」での活動を誘われて、「ならまち」を歩いたことがなかったことに気がついたのです。綺麗に守られた古くからの民家や感性をくすぐる空き地や建物、醸された路地や共有地、こんなに魅力的で大切な地域が守られて今ここにあることを知らなかった! そして、そこで活動を作ろうとする魅力的な人に出会ったことがなかった! そのことを知ることができたのです。
・・・ということで、まだまだ何も知りません。もっと知りたい。もっと深めたい。できるならば暮らしてみたい。もっと出会ってみたい。そして何かを始めたい。「つくるところ」をつくりたい。ならまちワンダリング、何ができるかわかりませんが、どうぞよろしくお願いします。